インタビュー

海を超えて、世界へ
時代を超えて、未来へ

長友味噌醤油醸造元
塩見陽子さん

明治10年(1877年)、宮崎県宮崎市青島で始めた長友味噌醤油醸造元。創業から140年を超える現在まで、地元の食を支え、地元の味を守り抜き、歴史を絶やすことなく刻んで参りました。

私は、3代目長友昭彦の長女として青島に生まれ育ちました。実は、当時「跡は継がない」と言っていました。ずっと海外で暮らしたいという強い想いがあったんです。宮崎南高等学校を卒業後、都内の大学へ進学。卒業後は、スイスの金融関係の企業へ就職し、そこで出会った方と結婚しました。シンガポールに拠点を移し、娘が誕生。充実した理想の日々を送っていました。

15年前、父が倒れたことをきっかけに帰国することになりました。母のサポートなどもあり、シンガポールと青島を行き来する日々。考えが少しずつ変わっていきました。海外に出たからこそ、日本固有の文化『味噌・醤油』の魅力に気付いたんです。そんな文化に携わることができるのは面白いかもしれない、でも…。そう思い悩んでいると、主人がこう言ってくれました。『世界的に見ても、100年以上続いている会社はほとんどない。やめてしまった後に後悔しても、我々に次の100年は無理だ。まずはやってみては?』この言葉が背中を押し、主人とともに青島へ拠点を移し、本格的に跡を継ぐことに向けて動き始めました。

実際の作業は手作業を大事にしていることもあり、戻ったばかりの頃は体力的に大変なこともありました。しかしそれ以上に、皆さんに受け入れていただく営業活動に苦労しましたね。通常醤油や味噌は、日頃使っていない商品を手に取る機会があまりありません。家庭で使っている同じものを、毎日少しずつ使用するのが一般的です。また、南九州の醤油は、独自の食文化に根付いた「甘み」があり、味噌は「麦」味噌が主流。馴染みのない味わいや素材に抵抗のある方も多く、国内での営業活動は非常に困難でした。

そこで10年ほど前から、シンガポールや香港など、アジアへの営業を始めたのです。すると各地で非常に高い評価をいただき、店舗に商品を送ると3日で売り切れてしまうまでになりました。今では、海外のお客様からダイレクトにメッセージをいただくことも多く、青島の食文化の可能性を感じています。

地元のお客様を大事にしながら、様々な枠にとらわれることなく、海を超え、時代を超えて、青島の伝統や日本の食文化を届けていきたいと考えています。これからも、チャレンジを続け、未来への可能性を追い続けます。