ブログ

成田から宮崎まで1500キロ運転して帰った件

だんだん記憶が薄れてきたけれど、今のうちに帰国ネタを

娘の学校の入学や住居の手続きが全て完了し、私は帰国をしたのですが、コロナ禍ですので帰国者は2週間ホテルにて自主隔離するか、公共交通機関を使わずに宮崎まで帰るかのどちらかしかありません。私はレンタカーを借りて宮崎まで運転して帰りました。
歳のせいか、疲れは後からどぉ〜〜っとやってきたw


日本に到着したのは午後16時ごろだったけれど、そこから手続きや検査等をして晴れて空港の外に出られたのは夕方18時過ぎごろ。

帰国者専用のバスに乗って帰国者が利用できるホテルで一泊


その後、いよいよレンタカーで宮崎まで2泊3日で帰りましたとも!!

台風にでくわさないかハラハラドキドキでしたが、雨に晒されたのは横浜の手前ぐらいまでで、あとは全て快晴の晴れ女ぶり

流石に疲れているので、最初は名古屋で一泊。国際空港のある都市では帰国者が利用できるホテルが必ずありますので、それを利用。


トヨタのお膝元はセントレアに近いので帰国者受け入れのビジネスホテルがありました。晩御飯はUberで愛知の名物らしい台湾風のラーメン?を食べてみた。
緊急事態宣言中なので街は本当に静か。ホテルもガラガラ。そして激安。。助かった。
翌日は早めの時間から出発して目標は福岡まで一気に行くこと。
SAも有名なところは人が多いので避けて小さなSAやPAに行き、ランチは車の中で。唯一の楽しみはご当地スナックを買うことw

娘が一時期夢中になって憧れていた宝塚を通りすぎ、岡山が結構長かった


広島のSAには鳥居があったけれど、宮島は遠くて見えなかった


関門海峡まで来たら安堵感がハンパないけど、もう疲れ果てて、、、早く宿に着きたい一心。

ホテルの部屋から、、
中洲もひっそり。。。翌朝、パンケーキで有名なBillsが部屋から見えるので朝ごはんそこで食べたいなぁと思いつつ、隔離中なのでどこにも行かず、コンビニでお弁当買って宮崎へ向かう

 

宮崎という文字が見えた時の安堵感たら。。

あともう少し



青島が見えてきた 涙



ガソリンを満タンにして、レンタカーを返却して無事に家に帰りつきました。走行距離1500キロ、思ったより大丈夫だった。無理をせずホテルに泊まったのがよかったかも。有名な観光地にも寄れず、ひたすら走り抜けましたが、これが私の子育ての集大成かのような旅でした。

子育で毎日悩まない日はなかったし、いいことばかりじゃなかったけれど、振り返れば子供と一緒にいれる時間て実は短いんだなぁと実感。親のアドバイスや期待や予想を裏切りまくって?娘は遠いところへあっという間に旅立っていきました。あとは目に見えない何かに委ねて娘を信じていくだけです。

田舎の小さな醤油蔵に生まれて、高度経済成長期の日本で育った私は、平和と物質には恵まれた環境でしたが、親ががむしゃらに働いている姿しか記憶がないぐらい、家族と一緒に楽しく過ごした時間がほとんどありません。
私は違う価値観で子育てをしてみたい気持ちが強く、娘を最優先にして過ごしました。職業人としては間違いだったと思います。周囲に甘えて、娘の気持ちに寄り添い一緒に過ごす時間をたっぷり取らせてもらいました。正しいかどうかより、私がしたいことを優先させてもらった分、周りに迷惑をかけたかも知れません。申し訳なかったです。
それでも、一歳から保育所に預け、誰かに預けて出張したり、朝早くから販売に出かけて朝起きたら親がいないので娘が泣き叫ぶ日々がたくさんありました。海外の販促は長期に渡るので、連れて行って現場の段ボールの中に娘を隠しお絵描きさせてたこともありました。
限界がありますから仕方ないです。働きながら工夫して子育てしているのは私だけじゃない、もっともっと頑張っているお母さんの方がたくさんいらっしゃるんだと言い聞かせ、まだ自分は自由がきく分ラッキーだと思いながらその時々を楽しんだり悩んだり。。。でも振り返ったらあっという間でしたねw


子育ての最終目標は、巣立つこと自立することです。親が想像しえなかった道を娘は歩み始めましたが、人生に無駄は何もないと思いますので、そっと見守りたいと思います。娘の夢が叶いますように!